Aloha!

こんにちは。

私は幼少期からつい本当に数年前まで自分にほとんどと言っていいほど自信がなく、自分の意志や意見がないのか言えないような人でした。

大学生になってさらに“お嬢様大学”として名前が知れた大学に通っていたせいもあり、勉強よりも外見ばかりにこだわるようになりました。

当時、コンサバスタイルが流行っていたので全身高級ブランドの服やカバン、アクセサリーで身を固めて学校に行くのが当たり前、自分のステイタスとなっていました。

常に人が自分の持ち物、服装などをチェックしている気がしていつも気が張っていましたし、いつも少しでも人に誇れるような自分でいたいと思っていました。

でも外見に気を使ったかといって自分の自信は増すことはありませんでした。

さらに見事に外見とは裏腹、男性とは縁があまりありませんでした。            よく合コン(コンパ)と呼ばれる男性数人・女性数人グループでの食事会に参加していました。第一印象は綺麗に着飾っているし、普通並みの容姿で必ずと言っていいほどどなたにかは気にいられ連絡先を交換し連絡を取り始めますが、容姿ばかりで中身に面白みも特徴も味もない私はすぐに飽きられました。

そしてすぐにその理由は私は可愛くないからだ、美人じゃないからだと外見が問題だと思っていました。

もちろん更にどんどん自信を無くしていきます。

欲しいもの(ブランド物や服などいわゆる物質的な物)は大体手に入れていたし、今時の女の子でしたが、自分に自信が無い上に、何かいつも寂しというのか、何かが足りないと思っていました。もちろんそのままの私を愛してくれるような恋人もいませんでしたし、自分はいつも駄目だと思っていました。(ちなみに常にファッションなどの話しか興味がないので話題は少なく、全く面白い事も言えない、退屈な人間でした)

その気持ちを満たすために、又、もっと自信を持つために流行りの洋服など欲しい物を買って満足しようとしていましたが、一時的な喜びだけで、そんな喜びは心を完全に満たしません。

 

このように感じている方は当時の私以外にもたくさんいるのではないでしょうか?

 

この昔の自分の中からいくつかの間違った心の存在が見えます。

みんなが持っている物を持っているから私は大丈夫、外れていないという安心感

私は高価なブランド物を持っているし、ブランドの服も着て、だから私は特別。イケている。私は価値がある人間だと思える。

外見・容姿を良くしているから私は愛される。

 

 

“あなたは私の目に高価で尊い 私はあなたを愛している”(イザヤ書43章4節)

 

 

神様を知ってから、私はすっかり180度変わったと思います。

 

もちろんそれなりにお化粧して、ファッションを楽しんだりと女性である特権を楽しむことはありますが、そこには自分の価値を決めるものは何もないことを知っています。

面白いことを言って人を笑わすことが得意になりました。

話す話題も豊富になり、誰とでも気兼ねなく話せるようになりました。

自分の意見、考えをしっかり持ち、発言し、悪いことには悪い!と言えるようになりました。

友達も増え、男女関係なく行為を持たれるようになりました。

 

何かができる、何かを持っている、容姿や身なりが優れているという自信でなく、

私は高価で尊く、愛されている!私というそのままの自分でいい!という事実が私のすべてのモチベーション、自信になっているのです。

学生の頃と違って今は家族を持ち、欲しいものの規模が変わります。

持ち家だったり、車だったり、仕事のステイタスであったり、欲しいものはもちろんあります。

残念ながらそれらがない事に悲しくなることもあります。もっている人を憧れることもあります。

しかし、それらが無くても、私はダメ人間でもなく、価値があり、神様筆頭に私を必要としている人がいます。私に指名があります。生きる目的があります。神様からの祝福が与えられます。

それを知っていることが何でも持っているより勝っているのです。

“あなたは私の目に高価で尊い 私はあなたを愛している”

 

何も着飾らなくても、頑張らなくても、神様はそのままの自分を愛してくれているのです。

 

 

Mono