私の仕事はお葬式のコーディネートもします。働き出して一番最初のお葬式をコーディネートした際、私は追悼の言葉を考え、共に表情も硬くしてご家族に会うよう臨んだら、家族の方はとてもニコニコしていて、張り切っているし、むしろ楽しそうに挙式の内容のアイデアを出してくるので、ええ!?そんなんでいいの!?不謹慎じゃないか!?ととても動揺したのを覚えています。

ハワイ特有の文化もあるかもしれませんが、クリスチャンのお葬式は少しお祭りというのか、お祝いのようなところがあります。

お葬式の中でダンスや歌を披露したり、家族がみんなお揃いのアロハシャツを着て参列したり、結婚式の披露宴でお馴染みのプロフィールムービーなどがあったりします。お葬式の中で故人の思い出を語る時は笑いが溢れたりします。

もちろん、結婚式でするように皆で歌も歌います。そして仕舞には葬儀の後にはみんなでルアウ(宴会)があり、そこにはハワイアンミュージックバンドの生演奏つきだったり・・・

本当にお祭り騒ぎのような感じです。

日本人の特に仏教のお葬式との大きな違いには本当にびっくりします。

カルチャーショックでした・・・

 

なぜでしょうか?

ヨハネの黙示録14章‐13節

「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」“霊”も言う。「然り。彼らは苦労を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」

これ以外にも聖書の至るところで、私たちの体には期限があるけど命は永遠であること、

主イエスキリストを救い主と信じることで私たちの体は滅びても主イエスとがおられる場所、つまり天に導かれることを知っているからです。

 

痛みや苦しみから解放されて天という一番良いところにいるからむしろ喜ぼう!ということです。だからお葬式はお祝いなのです。

故人の功績を称え、逆に勇気をもらい、心が安らぎます。

だからか、私は挙式のプラニングよりお葬式のプラニングの方がすごく好きです・・・

 

・・・でも、そんなこと綺麗ごとに過ぎないと思うかもしれません。

 

お年寄りや長年病気で苦しんでいた人にとっては良かったよね・・・と思えるかもしれませんが、突然若くして死んでしまった場合、残された人の多くの人が何とも言えない悲しみと後悔と、なぜ!?と思う気持ちで交差すると思います。

私が関わったお葬式にも若くして突然亡くなった女性のお葬式もありました。

もちろんお葬式はお祭りのようでしたし、お葬式の後の宴会はものすごく派手だったようです。

でも、きっと私には見えない悲しみや失望があったと思います。

 

私の人生にもその経験があります。

 

とても大切だった人が急に亡くなりました。

私がその人にたまたま電話をかけた次の日に突然の心臓発作で寝ている状態で亡くなっていました。

34歳でした。

 

私はその人をたくさん困らせ、傷つけました。

でもその人はクリスチャンでしたのでそんな私を許してくれました。

 

その人には家族をもって幸せになってほしいと思っていましたし、その人も家族を持つのを夢みていました。

その人はとても優秀な人でしたし、いろんな人を助けていける将来有望な人でした。

 

私は自分がその方の将来をつぶしてしまったと思い自分を恨み、呪いました。

私なんか、何も取り柄もなく、その人の方が何倍も人の為になるだろうのに、私が生きて何故その人が人生を謳歌できないのか。これから楽しいことがいっぱいあったはずなのに。私が代わりに死ぬべきだった。

 

自分が電話をかけたのがその人の最後の日だったことに、自分のせいではないかと責めました。

 

神様からの私が今までしてきた行いの天罰が下り、神が私を苦しめる為にそうしたのだとまで思いました。

 

ピリピ人への手紙1章21節

21 わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは益なのです。
22 けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。
23 この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。
24 だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。

 

その人の死をどう受け入れたら良いかわからず苦しんでいた時に与えられた聖書の言葉です。

 

これを読んで神様から語られたのは、その人は今もう永遠の幸せの中にいること。その人のこの世での役目は終わったのです。一番幸福なのです。ゴールしたのです。

しかし、問題は私です。生きていく方が大変なのです。そして私の役目はこれからなのです。私にはやらないといけないことがあるということです。

 

神様が面白い関西人なら、

へいへいへい!ちょっとあんた、そんなん悲劇のヒロインになって自己嫌悪に陥ってる場合ちゃうでー!要はあんたの方が大変なんやでー!こっからが勝負ですわ。いろんなこと出てくるでーしっかりしいよー!あんたいっぱいやらなあかんことあるからな!!おきばりやす!

 

私たちにはそれぞれ人生があります。それぞれ長さが違います。

そして私たちにはこの世に生を賜った理由があります、使命があり、役目があります。

 

そしてその人生は私が生きたいように生きるのではなく、キリストと共にいきるのです。

キリストを自分の主だということを認め、神に従って生きるのです。

 

 

ちなみに、イエスキリストは私たちの罪の為に十字架にかかって私たちの罪の代価を払ってくださった為に、私たちの罪は許されました。本来であれば私たちが罪の罰を払わなければいけません。

私がしてきた罪の為に私の大切な人が死んだのであれば、私はずっと罪の罰を受けたまま今でも苦しんでいるでしょう。

私はキリストと共にこの世に生きる時間が長くなるにつれて、試練も増しますが、その分祝福が溢れることを感じています。

 

感謝しかありません。

 

 

Mono